兵庫県議会の百条委員会で委員長を務める奥谷謙一(おくたに けんいち)さん。
奥谷謙一さんの家族について知りたいですよね。
またなんと母親は実業家の奥谷禮子(おくたに れいこ)なの?
という噂がありますが、実はデマなんだとか。
そこで今回は、
についてまとめていきます
奥谷謙一のwikiプロフィール
生年月日:1985年8月13日生まれ
年齢:39歳(2024年9月時点)
出身地:兵庫県神戸市北区
最終学歴:甲南大学大学院法律研究科
奥谷謙一さんは兵庫県神戸市生まれ。
年齢は2024年9月時点で39歳。
奥谷謙一さんは大学
卒業後弁護士として活動していました。
2015年、30歳で兵庫県議会議員で初当選し、政界入りしています。
奥谷謙一の父親は奥谷通!
自民党の奥谷謙一さんですが、父親も自民党議員の奥谷通さんです。
生年月日: 1951年10月7日
出身地: 兵庫県神戸市
学歴: 甲南大学法学部卒業
奥谷通さんは、神戸市出身。
父親も神戸市出身でした。
奥谷通さんは、甲南大学法学部を卒業後、神戸大学環境工学研究室に勤務。
衆議院議員秘書として政治の世界に入ります。
その後、国土庁長官秘書、衆議院議長公設第一秘書を歴任。
奥谷通さんは、兵庫県議会議員として2期務めました。
1996年: 第41回衆議院議員総選挙で初当選し、自由民主党所属の衆議院議員となります。
2000年: 第42回衆議院議員総選挙で再選。
第1次小泉内閣で環境大臣政務官に就任し、環境政策に取り組みす。
しかし、奥谷通さんは2003年7月8日:51歳で逝去されました。
また配偶者に関しては、『元妻は「ザ・アール」の奥谷禮子さん』と記載されています。
やっぱり奥谷謙一さんの母親は実業家の奥谷玲子さんじゃないの?
実業家・奥谷禮子の経歴プロフィールは?
生年月日: 1950年4月3日
出身地: 兵庫県神戸市
学歴: 甲南大学法学部卒業
奥谷禮子さんは、奥谷謙一さんと同じく神戸市出身。
また謙一さんと同じく、甲南大学法学部を卒業し、
日本航空の客室乗務員となります。
1982年に同僚と共に人材派遣会社「ザ・アール」を設立
1986年には経済同友会の女性初の会員に選ばれました。
その後、ローソンや日本郵政の社外取締役を務めるなど、多くの企業で重要な役職を歴任しました。
現在は、CCCサポート&コンサルティング株式会社の代表取締役会長を務めています。
また、2022年には日本の伝統工芸技術の育成と伝承を目的とした「奥谷禮子財団」を設立。
また、奥谷禮子さんは、実業家だけでなく、作家としても活躍されています。
歯に衣着せぬ物言いでも有名な方ですよね。
【理由3選】奥谷謙一の母親が奥谷禮子はデマ?
奥谷謙一の母親が奥谷禮子はデマなんでしょうか?
その理由をみていきましょう。
理由②母親の誕生日が違う
理由③選挙の時に祝福した人物が奥谷玲子ではない
理由①奥谷禮子は奥谷謙一を生んでいない
奥谷玲子さんが奥谷謙一の母親ではない理由の一つ目は、
というのも、父親の奥谷通さんはと奥谷玲子さんは結婚していましたが、離婚しています。
その時期が重要です。
離婚時期は1984年。
奥谷謙一さんの誕生日は1985年8月13日です。
1年も違います。
奥谷禮子さんが離婚した後に出産したことも考えられますが、
奥谷禮子さんに子供がいることは明記されておりません。
他の理由もみていきましょう。
理由②母親の誕生日が違う
奥谷玲子さんが奥谷謙一の母親ではない理由の二つ目は、
です。
奥谷謙一さんは、Facebookに以下の投稿をしていました。
今年も兵庫県議会議員の加田裕之先生と、父がお世話になった「おれは男だ会」からお花をいただきました。
14年経っても変わらぬご厚情に心より感謝申し上げます。
理由③選挙の時に祝福した人物が奥谷玲子ではない
奥谷謙一さんのは初当選したときに駆けつけたと思われる家族。
母親らしき人物とツーショットで写っていました。
きっとこちらが奥谷謙一さんの母親でしょう。
奥谷謙一議員の後援会でも写っていました。
また一般人であることが予想され、名前などはわかっていません。
奥谷禮子さんとの比較画像はこちら。
奥谷謙一さんの母親だと思われる人物とは、別人物。
だということがわかりますよね。