サニブラウン選手は2024年パリオリンピックの代表に選出されましたよね!
大阪なおみ選手のように、見た目から日本人に思えませんが、実は母親が日本人で父親がガーナ人なんです!
そんなサニブラウン選手の母親である明子さんがなんと陸上選手だったとか。
そこで今回は、
陸上選手としての成績は?
についてまとめました。
【顔画像】サニブラウンの母親・明子のプロフィール!国籍は?
(旧姓:伊藤明子)
出身地:福岡県宗像市(日本)
生年月日:1967年生まれ
年齢:57歳※2024現在
サニブラウンの母親・明子の出身校
サニブラウンの母親・明子さんの出身校は、
〒811-3436 福岡県宗像市東郷6丁目7−1
母親・明子さんは陸上選手としてインターハイへ
全国高等学校総合体育大会陸上競技大会に出場した経歴があります。
100mと100mハードルで愛知インターハイにも出場しています。
インターハイ出場ですので、かなりの実力だったと予想できますね。
さすがはサニブラウン選手の母親ですね。
しかしインターハイの結果までは分かっていません。
福岡県立宗像高校で、サニブラウン明子さんを指導していたのが
小田真一さんです。
現在は教諭は引退されているようです。
しかし上記のようにサニブラウン選手を応援しているというメッセージを送っておられ、今でも陸上への愛が沢山ある先生なのではないでしょうか?
母親・明子さんがサニブラウンを陸上競技の世界へ
サニブラウン選手が陸上選手になるまでに母親からの影響があったと言われています。
そこでこれまでの母親・明子さんとのエピソードをみていきたいと思います。
小学生の時陸上へ
父親はサッカーの経験があったことで
子供のサニブラウンさんも影響をうけて、サッカーをしていたんですね。
サニブラウンの元々の身体能力すごそう!
ちなみに、弟さんもサッカーをしています。
小学生の時のポジションはフォワード。
しかし小学校3年生のとき、母親の明子さんは
「(サニブラウンは)団体競技は向かない」
と考え陸上を勧めます。
五輪代表選手の下で練習
最初は陸上への情熱はさほどなかったようです。
しかし段々と陸上の楽しさを覚えるようになります。
母親の明子さんがスポーツメーカーで勤務していた縁で、
アトランタ五輪代表の大森誠一さんが主宰する陸上クラブ
に入り、指導してもらっていたそう。
引きこもりを経験後、才能開花
サニブラウン選手が中学2年生の時、尊敬していた先輩が卒業されたことがきっかけで家に引きこもるようになります。
しかし明子さんや周囲の指導者から励まされ、また陸上に戻ってきます。
トラックに戻ると瞬く間に才能を開花させ、日本選手権100M、200Mを制覇。
フロリダの大学へ進学し、本格的にトラック競技者としての鍛錬を積みました。
母親・明子さんがサニブラウンのが才能を見出したことが大きかったのでしょうね!