男子フェンシング・フルーレ団体はパリ五輪でメダル候補として注目されていますよね。
そこで今回は、フルーレ団体の飯村一輝(いいむら かずき)選手についてみていきたいと思います。
飯村一輝選手の父親は元フェンシング経験者だそう。
そこで今回は
・太田雄貴選手との関係とは?
についてまとめてみました。
飯村一輝選手のプロフィール
年齢:20歳(2024年6月現在)
身長:168㎝
所属:森永製菓
飯村一輝さんは、2003年12月27日に京都府生まれ。
小学校からフェンシングを始め、龍谷大学付属平安高等学校に進学。
小学校、中学校、高校では日本一になり、現在慶應義塾大学へ進学しています。
中学2年生の時に日本代表に選出。
国際大会でも好成績を残しています。
高校1年生の2019年5月、『第38回大垣フェンシング選手権』で優勝し、その後も多くの大会で活躍しています。
これまでの素晴らしい成績をまとめておきます。
2017年:『17歳以下の国際大会で銀メダル』
2018年:
『第30回西日本フェンシング選手権ジュニアの部』2位
『第30回西日本フェンシング選手権カデの部』優勝
『第4回全国中学生フェンシング選手権男子フルーレ』優勝
『2019年 第38回大垣フェンシング選手権フルーレ』優勝
『全国高校総体(インターハイ)男子フルーレ』3位
2022年:『ワールドカップセルビアベオグラード大会 』男子個人フルーレ:3位
2023年 『ワールドカップエジプトカイロ大会』 男子団体フルーレ:優勝
飯村一輝の父は太田雄貴のコーチだった!
飯村一輝の父親は
日本初のフェンシング銀メダリストである、太田雄貴さんのコーチをしていました。
なんと太田雄貴選手の指導を始めたのは太田選手が小学生の時。
当時、飯村一輝選手の父親は高校生でした。

高校生から指導者って人徳もあったんでしょうね!
太田さんが小学生の時から2016年に引退するまでの20年に渡り指導してきています。
飯村一輝選手の父親と太田雄貴さんの出身校は龍谷大学付属平安高等学校。
ですので、
太田雄貴さんと飯村一輝選手の父親は出身高校の先輩・後輩
とも言えますよね。
家族ぐるみの付き合い
また2016年に太田選手が引退した後も、飯村家とは家族ぐるみに付き合いで、飯村一輝選手が幼少期の頃に一緒に写真に写っています。
なんだかほっこりする写真ですよね。
飯村一輝さんは太田選手からも指導を受けることがあるようですよ!
メダリストと昔からの知り合いで、なおかつ指導者として教えてもらえるなんてとても素敵な関係ですよね!
【顔画像】飯村一輝選手の父の年齢や名前は?
飯村一輝選手の父親の年齢や名前・職業など詳しくみてみましょう。
年齢や名前
飯村一輝選手の父親の名前は飯村栄彦(ひでひこ)さん。
年齢は、公表されていません。
なので予測してみたいと思います。
飯村栄彦さんは高校生から太田選手の指導者として活躍していました。
およそ16歳~18歳で指導者として活躍します。
太田選手が2016年に引退するまで20年フェンシングのコーチをしていました。
ということは、2024年現在で
だと予測されます。
職業
2024年現在は
をされています。
浅井先生のトレーニングや夏合宿に引き続き飯村コーチのフットワーク、田畑さんによる審判講習会など今回得たことを日々の練習に取り入れ
引用元:同志社大学体育会フェンシング部 2024年3月のブログ
元日本フェンシング協会の会長もされていたとの噂もありますが、そのような記載は見つけられませんでした。
フェンシング選手だったの?
父の栄彦さんはフェンシングの選手でした。
しかしオリンピックメダリストといった実績ではなく、高校生の頃から指導者として活躍していました。
自身の実績ではなく若手育成に励んでいたようですね。

高校生から指導者になられて、五輪メダリストを生み出すんですから、本当に凄いですね!
飯村一輝選手にフェンシングをさせたのも父
飯村一輝選手がフェンシングを始めたのも父親から誘われたことがきっかけでした。
「『MATCH』という微炭酸のジュース、ご存知ですか? 『買ってあげるから』と言われて、それに釣られて剣を握ったのが初めてでした。最初は遊び程度で週に2回くらいやっていました」
引用元:https://the-ans.jp/column/343331/2/
ジュースで釣っていたのですね。
最初、飯村一輝選手はフェンシングが怖かったようですよ。
しかし、辞めることはなく続けるなかで、小学校2年生の時に四国の大会で優勝します。
その結果が嬉しかったことと、自分よりも体格がいい相手にも、駆け引きで勝つことのできるフェンシングに楽しさを覚えていったようです。
駆け引きについてはやはり父の英彦さんの指導があったようです。
「父とのマンツーマンのレッスンで、相手のシチュエーションに分けてこう来たらこう、逆にこう潰されたらこっちに行く、みたいな感じの練習をしていたので、そういう感覚がどんどん研ぎ澄まされていった結果、試合でできるようになったと思います」
引用元:引用元:https://the-ans.jp/column/343331/2/
五輪メダリスト太田選手を育てた父親ですから、素晴らしい指導なのでしょうね!