【偏差値70】松山恭助の出身高校はどこ?大学など学歴まとめ!

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男子フェンシングのフルーレ団体はパリ五輪日本代表として内定していますよね!

そしてメダル候補!!

男子フルーレ団体の日本代表選手のチームキャプテンは松山恭助選手。

今回は学歴について調べてみました。

松山恭助選手の学歴まとめ!
大学・高校・中学・小学校はどこ?

についてまとめてみました。

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松山恭助選手のプロフィール

松山恭介

名前:松山恭助(まつやま きょうすけ)
誕生日:1996年12月19日
年齢:27歳
出身地 :東京都・浅草
身長 180 cm
体重 75 kg
所属:JTB
最終学歴:早稲田大学
松山選手がフェンシングを始めたのはわずか4歳。
地元の総合型地域スポーツクラブにフェンシングがあり、始めます。
幼い頃から才能を示し、小学2先生で全国大会で初優勝。
中高生まで無双状態だったそう。
しかし大学からはなかなか勝つ事が難しい時期もありました。
そこからマインドセットやメンタリティの整え方を学んだと話します。
今の松山選手は
僕の軸は変わらない。とにかく目の前のことに集中して、淡々と、とにかくやり続ける。成長していくだけだと思っています
技術だけではなく、メンタリティの整え方も取得した松山選手。
これからが楽しみですね!
これまでの実績をまとめてみました。
オリンピック出場: 2020年東京オリンピックと2016年リオデジャネイロオリンピックの男子フルーレ団体に日本代表として出場。
世界選手権金メダル: 2023年に開催されたミラノ世界選手権で金メダルを獲得。
アジア競技大会銅メダル: 2018年のアジア競技大会で銅メダルを獲得。
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松山恭介の学歴まとめ!

松山恭介

では、松山恭助選手の学歴についてみていきましょう。

幼稚園

徳風幼稚園

に通っていました。

徳風幼稚園
〒111-0035 東京都台東区西浅草1丁目5−5

松山選手は母親に勧められ、4歳からフェンシングを始めます。

兄の大助さんと地元台東区のリバーサイドスポーツセンターに通っていました。

最初は兄の大助さんの真似をして楽しむといったところから始まります。

ほとんどが年上の子供達ばかりでしたが、恭助さんは果敢に立ち向かい、勝つまでトライする子だったようです!

オリンピック選手って小さい頃から負けず嫌いなんだね!

 

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小学校

松山選手の小学校は、

金竜小学校
でした。
金竜小学校
〒111-0031 東京都台東区千束1丁目9−9
4歳で始めたフェンシング。
松山選手が小学校2年生の時に全国大会初優勝を飾ります!
小学5年生からは日本代表を務め、世界大会に出場します。
当時松山選手にとって「勝つのが当たり前」でした。
また地元のケーブルテレビにも取材されるほど注目を浴びます。
取材時、松山選手は自然と「将来はオリンピック選手になりたい」と口にしていたそう。
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中学校

松山選手の中学は

台東区立駒形中学校
でした。
台東区立駒形中学校
〒110-0014 東京都台東区北上野2丁目15−1
中学校に入学してからも無双状態が続きます!
国内の大会だけではなく、世界大会にも出場をし始めます。

高校

松山選手の高校は、

東亜学園
でした。
東亜学園
〒164-0002 東京都中野区上高田5丁目44−3
偏差値:52-59
高校はフェンシング強豪校の東亜学園高校ですね。
多くのスポーツ選手を輩出している高校ですよね!
松山選手が16歳の時、2012年世界カデ選手権で見事優勝を果たします!
カデ:13歳以上17歳未満
ジュニア:17歳以上20歳未満

また、東亜学園高1年時から3年時まで男子フルーレ個人戦で3連覇を達成!

太田雄貴選手依頼の偉業でした。

フェンシング界のホープだと注目を浴びます。

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大学

松山恭介選手の出身大学をみてみましょう。

早稲田大学 スポーツ科学部

でした。

早稲田大学 スポーツ科学部
〒359-1192 埼玉県所沢市三ケ島2丁目579−15
偏差値:65-74
早稲田大学 スポーツ科学部の偏差値は65-74です。
(偏差値の違いは試験の日程方式によって違います。)
松山選手にとって、大学時代は苦悩していました
19歳の時に五輪メダリストの太田雄貴さんから、日本代表のキャプテンを引き継ぎます。

当時はプレッシャーに押しつぶされそうになったと語っています。

どこかで自分がみんなを引っ張っていかなくちゃいけないという思いがあって、周りが思っている以上に自分自身に対してプレッシャーをかけすぎてしまい、苦しかった時期もすごく長かったです。

引用元:https://www.city.taito.lg.jp/

また20歳以上のシニアカテゴリーに参戦することになり、順調に成果を残す予定が、思った以上に成果が出ず苦しんだと話しています。

一番ショックを受けたのは、2017年21歳の時の世界選手権でした。

その大会で自身より1歳下の西藤俊哉が銀メダル、敷根崇裕が銅メダルを獲得し、「何がダメなのか。」と自問自答を繰り返したといいます。

そこから自分のメンタリティと向き合い始めます。

そして自身としっかり向き合い、メンタリティの整え方を知った恭助さん。

2022年の10月ドイツワールドカップで初めて個人で優勝します。

この優勝が、「自分の人生の中でも、フェンシング人生の中でも大きかった」と話しています。

フェンシングの技術面・メンタリティの整え方を習得した松山選手は五輪に向けしっかりと調整されているのでしょね!

松山選手の家族構成!両親や兄弟はフェンシング経験者?

 

 

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